JAPAN
HERITAGE

南国宮崎の古墳景観
日本遺産 新田原古墳群

2018年5月、宮崎市、西都市、新富町の3市町にまたがる古墳群が「古代人のモニュメント-台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観-」として日本遺産に認定されました。

全国には有名な古墳や大規模な古墳群が多数ありますが、全国的にも保存状態がよく、古代景観がよく残っている点が高く評価され、それぞれの古墳群を巡ることで、古墳時代300年の歴史を体感することができます。本サイトでは、新富町の田園風景に広がる新田原古墳群(にゅうたばるこふんぐん)の魅力についてご紹介します。

新田原古墳群とは、昭和19年に国の指定を受けた史跡です。一ツ瀬川東部の台地上にあり、見渡す限りの広大な田畑の中に、水神塚(すいじんづか)、機織塚(はたおりづか)、百足塚(むかでづか)などと名付けられた前方後円墳をはじめ、円墳や方墳が浮かぶように点在し、総数は207基と、宮崎県内でも2番手の規模です。

また、古墳時代の人々が造った古墳と、後世の人々が生み出した田畑が共にある景観は、古墳の存在を壊さずに開墾されたことで形作られましたが、そこには現在に続く古墳へ畏敬の念が根底にあったのです。また、百足塚古墳から出土した古墳時代の暮らしぶりをイメージさせるユーモラスな埴輪も見ることができます。

周辺には多数の魅力的な古墳群

宮崎県の中央部。九州山地から日向灘に流れる一ツ瀬川流域には、日向地方でも有数の古墳群が密集しています。
新田原古墳群を始め周辺にも多くの古墳が残っています。特に花の名所としても有名で、四季の花を楽しめる西都原古墳群は観光スポットとしてもおすすめです。

古墳時代前期にはこの流域の多くの地に首長たちが競うように前方後円墳を造り始めました。特に西都原では同じ台地上にいくつものグループが前方後円墳を造っていたことが分かっています。

中期になると、女狭穂塚古墳・男狭穂塚古墳という巨大な古墳が登場する代わりに、他の小首長の前方後円墳は造られなくなったようです。2つの巨大墳の被葬者の登場によって、この流域の権力は一極集中するようになったのではないでしょうか。
しかし、その権力も長続きはしませんでした。中期後半になると西都原には目立った首長墓は造られず、三納古墳群に松本塚古墳が造られるなど、墓を造る場所が移り変わっていきます。

そして、後期になると新田原古墳群のうち、祇園原古墳群に他を圧倒する規模の首長の墓が造られるようになったのです。

発掘された百足塚古墳

祇園原古墳群の中でも、4番目に大きい百足塚古墳は、町で行う史跡調査の一環として発掘調査されてきました。

調査前から埴輪がたくさん出土する古墳として知られていましたが、調査の結果、西側の周堤の周辺から多数の形象埴輪片が出土し、もともと周堤の上にたくさんの形象埴輪が並べてあったことが分かりました。その数や内容は今まで発見された例では西日本でも有数のものです。また、後円部の西側側面には横穴式石室の入口が発見されました。内部は調査していませんが、埴輪などの編年から日向地方でも最も古い石室の可能性が高くなりました。

百足塚古墳は以上の調査から、墳長約80メートル、後円部と前方部はともに2段築成、墳丘周囲には盾形の周溝と周堤を施し、墳丘の各段には円筒埴輪列が、西側周堤には形象埴輪群が並べたれていたことが分かりました。
横穴式石室の採用や形象埴輪の多量配置などから、この古墳の被葬者は、古墳時代後期における日向地方の有力首長であったと推測されます。

その他、百足塚古墳の他にもさまざまな古墳が造られました。

百足塚古墳(新田原58号墳)

祇園原古墳群に属する百足塚古墳(新田原58号墳)は、6世紀中頃の築造とされ、墳長82m、横穴式石室を埋葬主体部とする前方後円墳です。特筆すべきは、新富町教育委員会が史跡整備の一環として行った発掘調査において、墳丘からは円筒埴輪が、墳丘西側の周堤部分からは人物・動物・家などの多種多様の形象埴輪が出土しました。
889-1406 宮崎県児湯郡新富町新田14711

弥五郎塚古墳(新田原48号墳)

新田原古墳群の支群、祇園原古墳群の中では霧島塚古墳に次ぐ規模の古墳です。ただし、霧島塚古墳は祇園原古墳群の中ではやや離れた河岸段丘上にあり、平野部に造られている古墳としては最大にて最後の首長のお墓です。墳丘はよく残っており、巨大さを実感できる古墳です。新田原古墳群として国の史跡に指定されています。
889-1406 宮崎県児湯郡新富町新田14604

水神塚古墳(新田原56号墳)

水神塚古墳は宮崎県児湯郡新富町東俣の台地上にある、前方後円墳です。墳長49.4m、高さ5.8mと中程度の大きさです。墳丘の周りには盾形をした周濠があり、円筒埴輪や人物埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。この古墳の築造時期は、前方部が後円部より発達していることから、古墳時代後期の築造と推定されています。

大久保塚古墳(新田原92号墳)

5世紀半ばに築造されたとされる墳丘長84mの前方後円墳であり、祇園原支群中3番目の大きさです。墳丘は鍵穴のような形をした日本独特な形式です。両側のくびれ部に造り出しがあり、墳丘の周りには盾形をした周濠があり、円筒埴輪等が採取されています。大公方塚古墳と呼ばれることもあります。

機織塚古墳(新田原47号墳)

新田原台地より一段高い段丘面にあり、祇園原古墳群に点在する前方後円墳の中でも59号墳とともに高位置に所在する。傾斜地に造営されており、墳丘の周りには浅い周溝があります。発掘された形象埴輪には動物(馬や猪)の足と思われる個体が発見されている他、6世紀中頃から後半に属する円筒埴輪等が採取されている。

新田原62・63号墳

百足塚古墳に隣接している円墳でそれぞれ約15m、約30mの規模です。百足塚古墳と同様の特徴を持った埴輪が発見されたため、近い時期に築造されたと予想されています。大きな前方後円墳などの近くに造られた古墳のことを陪塚(陪家)と呼び、前方後円墳に埋葬された首長の近親者の墓と考えられています。

アクセス

電車でのアクセス

JR日豊線「日向新富駅」からタクシーで約15分、またはJR日豊線「佐土原駅」からタクシーで約25分

バスでのアクセス

宮崎交通「西都バスセンター」から「高鍋バスセンター(一丁田経由)」方面、または「高鍋バスセンター」から「西都バスセンター(一丁田経由)」方面、バス停「祇園原」下車 徒歩約10分

お車でのアクセス

東九州自動車道「西都IC」から約15分